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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2674号 判決 1985年4月24日

控訴人・附帯被控訴人(被告) 財団法人愛生会

被控訴人・附帯控訴人(原告) 宮島恵樹 外一名

主文

原判決中被控訴人宮島正子に関する控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人宮島正子の請求を棄却する。

被控訴人宮島恵樹に関する本件控訴を棄却する。

本件各附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は、被控訴人(附帯控訴人)宮島正子と控訴人との間においては第一、二審を通じ附帯控訴費用を含めて同被控訴人の負担とし、被控訴人(附帯控訴人)宮島恵樹と控訴人との間においては控訴費用を控訴人の負担とし、附帯控訴費用を同被控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人(附帯控訴人)訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決中被控訴人(附帯控訴人)ら敗訴の部分を取り消す。控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)らに対し、各金一九〇万円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。」との判決を求め、附帯被控訴人訴訟代理人は、附帯控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述並びに証拠の関係は、次に付加するほか原判決の事実摘示(判決書三丁表一〇行目及び一二丁表初行「洗濯」を「洗濯場」に、七丁裏六行目「現実に」から九行までを「昭和五七年二月末日までの間一か月金五万円の割合による金員の支払を求める。」に改める。)と同一であるから、これを引用する。

(控訴人(附帯被控訴人)訴訟代理人の陳述)

一  使用者は、被用者に対して、業務遂行上の必要性から配置転換を行うのである。それは、使用者の人事管理上の措置として、本質的に使用者に属する権利であり、被用者は、雇用により必然的に自己の労働力の提供につき使用者の規制を受けるものである。

近時、配置転換命令権の根拠については、包括的合意説が支配的である。すなわち、労働契約の締結に際し、就業場所、従事すべき業務を限定していない限り、使用者は、労働契約の締結により労働者の提供する労働力を使用者の業務活動上の必要に応じて計画的に利用し得る権限を包括的に委ねられたのであり、労働者の個別的承諾又は同意を得ないでも、その職務内容や勤務場所等を一方的に変更する命令を発する権利がある。本件雇用契約が、まさにそうなのである。

二  本件配置転換は、本件ビラの配布に対する制裁としてされたものではないが、仮に両者間に何らかの関連性があるとしても、不当視されるべきものではない。懲戒に相当する事由がある場合に、懲戒処分を行うことなく配置転換が行われることも事例として多い。

三  被控訴人(附帯控訴人)らは、本件配置転換による精神的、肉体的苦痛を主張するが、宮島恵樹については、危険手当が従前の月額五百円から三千円となり、新たにおむつ手当一日につき百五十円、昭和五四年五月以降は特殊手当月額二千円が支給され、昭和五六年六月以降調整手当が月額六千七百円から一万千七百円に増額された。このように、恵樹は経済的には利益を伴つており、宮島正子については、肉体労働というものではなく、いずれも金銭で賠償すべきものではない。

四  被控訴人らの婚姻の事実は、認める。

(被控訴人(附帯控訴人)ら訴訟代理人の陳述)

一  控訴人主張の一は争う。包括的合意説を採つたとしても、就業場所や就業すべき業務が黙示的にでも限定されている場合には、労働者の同意なしに他の場所や業務に就かせることはできない。

二  労働者にとつて労働の持つ意味は、単に労働時間、賃金等の外形的労働条件のみによつてではなく、労働の内容によつて大きく変化する。被控訴人(附帯控訴人)らは、本件配置転換により従前の職務を一方的に違法に奪われ、意にそわない職務に従事することを余儀なくされたのであるから、その精神的、肉体的苦痛は大きい。

三  被控訴人らは、昭和五八年二月一四日婚姻し、妻の氏を称することとなつた。

(当審における証拠)省略

理由

一  当裁判所は、被控訴人らの本訴請求中被控訴人宮島恵樹(以下「被控訴人恵樹」という。)について控訴人の昭和五四年一月四日付け管理課洗濯場勤務とする旨の命令が無効であることの確認を求める部分は理由があるから正当として認容し、被控訴人恵樹のその余の請求及び被控訴人宮島正子(以下「被控訴人正子」という。)の請求は理由がないから失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、次の二から五までのとおりである。

二  原判決理由一及び二(一六丁表二行から二五丁裏五行まで)を次のように改めた上、引用する。

原判決一六丁表一〇行目「洗濯」を「洗濯場」に、一七丁裏四行目及び一八丁表初行「雑役・」を「雑役、」に、同裏五行目「調剤師」を「薬剤師」に、二一丁裏末行「調理」を「調理・雑役」に改め、二三丁裏四行目「、たやすくは」を削る。

なお、被控訴人植松恵樹は同宮島正子と婚姻して宮島恵樹となつたので、原判決中「植松」とあるのは「宮島恵樹」と、「宮島」とあるのは「宮島正子」と読み替えるものとする(次の三の1においても、同様である。)。

三  被控訴人正子に対する配置転換(以下「配転」という。)命令は被控訴人らの本件ビラ配布行為等の活動に対する制裁としてされたものであるから人事権の濫用であるとの被控訴人正子の主張について判断する。

1  原判決理由中二六丁表二行から二八丁裏初行までを次のように改めた上、引用する。

二六丁表四行目の括弧書きを削り、二七丁表五行目「の会員に話したところ、同会は」を「の名義で」に、同裏八行目「内容が必ずしも真実を伝えたものではなかつた」を「内容に真実に反する点が多かつた」に改め、二八丁表六行目から七行目「求めたが」の下に「、原告らは当初自分達がやつたのではない、多摩医療と労働を考える会がやつたことであると原告らが無関係である旨の言訳をしていたが、従業員の中からそんな馬鹿なことはないじやないか、自分達も一緒になつてやつたと言つたではないか、ビラに書いてある連絡場所の電話番号は宮島正子の家の番号じやないか、それでも知らないということはないだろうというような発言が相次ぎ、また首にしろという発言まで飛び出し」を加える。

なお、当審における証人乳井直の証言を右の認定に供する証拠に加える。

2  文書の性質及び形式から真正に成立したと認める乙第一七ないし第二一号証の各一、二、原審証人斎藤栄、当審証人勝野昭二、同乳井直、同牛尾盛保の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、右の1で認定したとおり、控訴人病院内の三木ホールにおいて職員集会が行われた日の翌日である昭和五三年一二月一二日の午前中、控訴人は、管理職会議を開いて被控訴人らの処置について検討したところ、色々な意見が出され、強い態度でのぞむべきだとの意見もあつたが、院長の考えから就業規則上の制裁である訓戒とすることになつたこと、同日午後副院長と事務長が被控訴人らを三木ホールの応接室に呼んで訓戒書を交付したこと、同月一三日事務長は出張のため病院に不在であり、翌一四日も知人の葬式のため病院の勤務を休んだこと、同日院長は事務長代理の勝野昭二に対して、病院内では被控訴人らの一緒に働いていること自体おかしいという意見もあるようだから、できるだけはつきりとしたことを聴いてほしい旨命じたこと、同月一六日夜副院長と右勝野とが従業員四人と会合してその意見を求めたところ、被控訴人らと一緒に働くことはとてもできない、何とかして欲しいとの意向が強かつたこと、そのころから病院側では被控訴人恵樹の配転先の打診を始めたこと、それに対しては、衛生検査係からも、給食からも断わられ、洗濯場も当初難色を示したが人手の関係から受け入れることを承知したこと、同月二一日被控訴人らからの申入れにより副院長と被控訴人らとが患者娯楽室で会い、配転を察知した被控訴人らからその話しが出されたが、副院長は配転があり得ることは言つたものの具体的なことは示されなかつたこと、同月二二日夜院長は被控訴人らの配転を決意し、翌二三日被控訴人らに対して配転の通知がされたことが認められる。右認定と抵触する原審証人斎藤栄及び当審証人勝野昭二の証言の一部は記憶違いと考えられ、右認定に反する原審及び当審における被控訴人恵樹の本人供述、原審における被控訴人正子の本人供述及び当審証人岩本一二三の証言は前掲証拠に照らして措信し難く、したがつて、被控訴人ら作成に係る甲第二八号証及び被控訴人らの供述を基礎とする甲第二九号証も右認定を左右するものではない。

3  被控訴人らは、同月一二日午後訓戒書を交付された際、本件ビラの配布の責任を配転でとつてもらう旨及び配転先は洗濯場と売店である旨告げられたと主張し、被控訴人らの前記本人供述、当審証人岩本一二三の証言及び甲第二〇号証、第二八、二九号証が右主張に副うものであるが、右証言と本人供述及び甲第二八、二九号証について措信し難いことは前記判断のとおりであるから、甲第二〇号証について検討を加える。

甲第二〇号証の嘆願書は昭和五三年一二月一三日付けの作成で、当時控訴人病院に入院中の患者が被控訴人らについて配転をしないように希望する趣旨のものであるから、右日付けどおりに作成されたものであるならば、被控訴人らの主張を裏付ける有力な証拠といえよう。ところが、成立に争いのない乙第七、八号証、当審証人勝野昭二の証言により真正に成立したと認める乙第九号証及び同証言によれば、右の嘆願書の作成名義人は五五人であるけれども、各人が署名したものではなく、名下に押印のあるのは三三人であり、内一六人の押印については、当時被控訴人恵樹が職務上預り保管中の印鑑によるものであり、宮島恵美子名下の印影は本人の印章によるものではなく、本人は署名も押印もしておらず、右印影は被控訴人正子の印章によるものと認められ、昭和五九年一月当時なお入院中の近藤勝二、金子タケ、桑田正則、岩室光伸らは、右嘆願書を見たこともなく、自ら署名も押印もしていないことが認められるので、名下に押印のある作成名義人のうち何人の者の意思に基づいて作成されたものか明らかでなく、被控訴人らの作為の存することさえ疑われ、右嘆願書の真正な成立には極めて疑問があり、証拠価値は乏しいといわざるを得ない。

また、右の嘆願書が昭和五三年一二月一三日の作成日に病院側に渡された点については、何ら証拠がない。

4  次に、本件に係る控訴人病院の労働組合と被控訴人らの関係及び当時の従業員の受け止めがどうであつたかについて考察する。

成立に争いのない乙第三号証、第六号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙第一一号証及び当審証人岩本一二三、同乳井直の証言によれば、被控訴人らは、控訴人病院に就職以来その従業員で結成する厚生荘病院労働組合(以下「組合」という。)の組合員であり、昭和五三年七月から乳井直が委員長、被控訴人恵樹が副委員長、被控訴人正子が書記長の職に在つたこと、前記1において原判決を引用して認定したとおり被控訴人正子は昭和五一年暮ころ右拇指腱鞘炎・頸肩腕障害にかかつたが、昭和五三年七月三一日右疾病が業務に起因するとして労災の認定がされるに至るまで組合の手をかりずに独力で行動し、右労災認定後は単独又は当時内縁関係に在つた被控訴人恵樹と共に控訴人病院の責任を追及する諸要求を提出したこと、組合は同年一〇月ころ被控訴人ら作成のパンフレツトを検討する等したが、組合員の多数は被控訴人正子の控訴人病院に対する諸要求については組合として取り組むべきでないとの意見であつたので、乳井委員長は被控訴人らにその旨を伝えたところ、両人から組合脱退届が提出されたこと、組合では両人の出席を得て更に検討したところ、その際の雰囲気は組合として取り組むべきだとの意見が前より多くなつたこと、ところが同月一七日組合の掲示板に右の取組みがほぼ決定され、組合名で再度要求書を提出することとなつた旨と要求書とが張り出され、これを見た乳井委員長は、右の点は未決定であるのでこれらの掲示を取り外し、被控訴人らと話し合つたが、合意に達しなかつたので同日委員会を開いて両人の脱退を承認し、同月二〇日組合大会で同様脱退の承認がされたこと、その一週間くらい後に被控訴人らから再入会の申込みがされたが、組合はこれを拒絶したこと、被控訴人恵樹が作成した乙第一一号証の組合ニユースの末尾に書かれている「都民総合法律事務所と正式契約」という部分は事実に反するので、乳井委員長が被控訴人恵樹にただしたところ、病院に対する脅しである旨答えたこと、同年一二月一一日の三木ホールの集会について、被控訴人恵樹は乳井委員長に対し、組合が病院側と組んで自分を首にしようとしてこのような集会を開いたのであろうという趣旨のことを述べたこと、右の集会における雰囲気は、被控訴人らの解雇にまで発展しかねない様子だつたので、乳井委員長は、有志の者と共に院長に対して両人を解雇しないようにと申し入れたこと、控訴人病院の従業員中には、被控訴人正子が就職当時朝のあいさつをしても返事もしないこともあり、また労災の認定を受けたことについても本人の行動からみて不審に思う者があつたこと、本件配転について、組合も従業員も傍観し、病院がひどいことをするという感じを持つようなことはなかつたこと、むしろ、本件ビラが衝撃的なので被控訴人らは首にされるのではないかとさえ思つたので、配転は仕方がないと思つた者さえあつたことが認められ、右認定に反する原審及び当審における被控訴人恵樹の本人供述は、前掲証拠に照らし措信しない。

右認定の事実には、被控訴人ら各人に固有のものがあるが、本件ビラ配布当時から被控訴人らが内縁の夫婦であり、昭和五八年二月一四日婚姻した事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と成立に争いのない乙第三号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第二〇号証、乙第一四号証、当審における被控訴人恵樹の本人供述により真正に成立したと認める甲第二八号証及び当審証人乳井直の証言を総合すると、被控訴人らは、本件ビラ配布の前後から本件に係る事柄はすべて一体となつて行動したと認めるべきである。

四  以上認定の事実によれば、控訴人病院の従業員の相当数が、被控訴人らの関与する本件ビラの配布により自己の職場の印象が事実に反して著しく毀損されたものと認識して被控訴人らに対する不信と嫌悪の念を強く抱くこととなり、控訴人としては、被控訴人らを従来どおり事務所に勤務させたのでは業務の運営上看過し得ない支障が生ずると判断したことには、合理性があるというべきである。

そうだとすれば、控訴人主張の他の配転事由について判断を加えるまでもなく、被控訴人正子に対する本件配転は、使用者の人事権の範囲内において業務上の必要性に基づいて行つたものであり、その処分に合理性があることは右にみたとおりであるから、被控訴人正子の人事権濫用の主張は、理由がない。

五  被控訴人恵樹の損害賠償請求については、原判決理由三七丁裏二行から三九丁裏二行までを次のように改めた上、引用する。

原判決中、三七丁裏二行から六行目「原告らをして」までを「原告植松に対する本件配転命令は無効であるから、同原告を」に改め、同七行目から八行目「及び同宮島各」を削り、三八丁表七行目「並びに」から八行目「こと」まで及び同一〇行目「及び同宮島各」を削り、同裏初行「通勤務」を「通勤」に改め、同六行目「云い難く」から一〇行目「思われる」までを「云い難い」に、三九丁表六行目及び同八行目「原告ら」を「同原告」に、「各配転」を「配転」に改め、同末行「は格別、」を削る。

六  よつて、原判決中被控訴人正子の本訴請求を認容した部分は不当であるから、これを取り消して同被控訴人の請求を全部棄却し、控訴人の本件控訴中被控訴人恵樹に関する部分は理由がないから失当として棄却し、本件附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、控訴人と被控訴人正子との関係では控訴事件につき民事訴訟法第九六条及び第八九条を、附帯控訴事件につき同法第九五条及び第八九条を、控訴人と被控訴人恵樹との関係では附帯控訴費用を含め同法第九五条及び第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 賀集唱 梅田晴亮 上野精)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

一 被告が、昭和五四年一月四日付でなした原告植松恵樹に対する管理課洗濯場勤務とする旨の命令及び原告宮島正子に対する講売部売店勤務とする旨の命令はいずれも無効であることを確認する。

二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告ら、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 主文第一項と同旨

2 被告は原告ら各自に対し、各金七〇万円及び各原告が昭和五五年三月一日から原職(厚生荘病院事務所での事務員としての勤務)に現実に就労する日の前日までの間一か月金五万円の割合による各金員を支払え。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

4 第2項につき、仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一 請求原因

1 当事者

(一) 被告は肩書地において、厚生荘病院(以下、「被告病院」という。)を経営しているものである。

(二) 原告植松恵樹は、被告のなした事務員募集広告に応募して昭和五〇年三月二七日被告に事務員として雇用され、以来被告病院事務所にて印刷物作成、タイムカード作成及び患者小遣台帳の整理等を主な担当業務として勤務してきたものであり、原告宮島正子は被告のなした薬局助手募集広告に応募して同五〇年一〇月二三日被告に薬局助手として雇用され、同五二年一月から五月二〇日迄の間休職した後同年五月二一日から被告病院事務所にて入退院相談を主な担当業務として勤務してきたものである。

2 配転命令

被告は昭和五三年一二月二三日原告両名に対し、同五四年一月四日付をもつて、原告植松は管理課洗濯へ、原告宮島は購売部売店へそれぞれ配置転換を命ずる旨の意思表示をした(以下、右各意思表示を「本件各配転命令」という。)。

3 配転命令の無効

しかしながら、本件各配転命令は以下の理由によりいずれも無効である。

(一) 労働契約違反

被告は従業員を採用するに当つては職種を限定して募集し、かつ職場を特定して採用をしており、過去の人事異動例でも事務所勤務の事務員として採用された者が一方的に被告病院事務所以外の現業部門に配転された例はない。

原告植松は被告に採用された時点から、原告宮島は復職時から、いずれも労働契約上病院事務所勤務の事務員として被告に雇用され、以来病院事務所において事務員として職務を担当してきたところ、本件各配転命令は原告らの意向を無視して原告らを右病院事務所以外の現場部門で、しかも、事務員としての職種とは全く異なる洗濯場要員や購売部売店係への配転を一方的に命じたもので、それは原告らの同意を得ずして労働契約の内容を一方的に変更するものであるから無効である。

なお、原告宮島が配転命令を受けた「購売部売店」は、従前患者会が運営しており、その後パートタイムの職員が引き継ぎ、次いで被告病院の正職員が配置されたものの、病院組織中どこにも属さない特殊な部門で、作業内容からすれば事務職に加えられるようなものではない。

(二) 手続違背

職場の配置換え、すなわち配転は労働者にとつて重大な労働条件の変更であるから、使用者は配転を命ずるに当つては労働者と誠実な協議を行なうべきものであつて、このことは、我が国における労使慣行、労働法上の規範ともいうべきところ、本件において被告は右協議を全く行なつていない。右は重大な手続的過誤であるから本件各配転命令はこの点からも無効である。

(三) 人事権の濫用

仮に、原告らの職種が労働契約上、「事務員」として限定されたものではないとしても、本件各配転命令は、業務上の必要性に基づくものではなく、専ら原告らのビラ配布行為及びそれまでの原告らの活動に対する制裁として行なわれたものであつて、それ自体就業規則上なんら根拠を有しないばかりか、それはまた、訓戒処分に加えてなされた点で二重の処分を科したものに相当するから、著しい人事権の濫用として無効である。

本件各配転命令が制裁としてなされた点は次の事実からも明らかである。

(1) 原告らは従前から原告宮島の頸肩腕症について業務に起因するとして被告の責任を明らかにすべく活動していたが、被告はこれを嫌悪していた。

(2) 昭和五三年一二月九日原告らもその構成員である「多摩医療と労働を考える会」が多摩ニユータウンを含む地域に、被告病院の経営を批判した記事を掲載したビラ(以下、「本件ビラ」という。)を配布したところ、被告は原告らに何ら事情を確めることなく、同月一一日病院において、昼休みに職員を集めて異例の職員集会を開催してその席上従業員に対し殊更原告らに対する悪感情を煽り立てた上、原告らに対し、右ビラについての釈明を求めるとともに厳しくその責任を追及した。

(3) 翌一二日被告は原告らを訓戒処分に付する旨決定し、即日訓戒書を原告らに交付したが、その際事務長齋藤榮は、「訓戒書は今後についてである。今回のビラ配布については配転で責任をとつてもらう。」と述べた。

(4) 同月二〇日ころ、被告病院副院長は原告らに対し、「このビラの件だけ反省してもだめだ。今までの組合活動そのものに関しても……(略)……そのビラの書き方とかそういつたことについても反省しなければだめだ。」と述べた。

4 本件各配転によつて被つた原告らの損害

本件配転により、原告らは多大の精神的・肉体的不利益を受けている。すなわち、本来なら病院事務所の事務員として勤務すべき原告らが、それぞれ洗濯の仕事や売店の仕事に従事させられているため、原告らが仕事を通じて得る精神的満足、喜びが全く得られないばかりか、従来よりも肉体を消耗する部署であるため肉体的疲労が著しい。

更に、本件配転後は原告らは生活を共にする内縁の夫婦としてそれぞれの出勤時刻が一致しなくなつたため、原告植松がいわゆる早番のときには、同宮島は同植松を車で被告病院まで送つた後自宅に戻つて子供の世話をして再び被告病院に出勤するといつた状況である。

また、原告らの休日が同じ日にとれるのは月に一回しかなくなつたため、家族団らんの機会を著しく奪われ、特に、原告植松と同宮島の子供とは血縁関係がないので、充分な接触を必要とするのにその時間的余裕がない。

以上のような精神的・肉体的苦痛に対する慰藉料は、各原告につき、金額に見積つて一か月金五万円を下らない。

5 むすび

よつて、原告らは被告に対し、本件各配転命令の無効確認を求めるとともに、慰藉料として原告ら各自につき昭和五四年一月から現実に原職に復帰するまでの間一か月金五万円の割合による金員(ただし、昭和五四年一月から同五五年二月末日までの慰藉料は各金七〇万円)の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1(一)は認める。同(二)につき、原告ら主張の日時に各原告を雇用したこと及び原告らの担当業務の内容(ただし、原告宮島は入退院事務の補助である。)は認めるが、原告植松を事務員として、同宮島を薬局助手として雇用したとの点は否認する。原告らはいずれも職種を限定せず被告の従業員として雇用されたものである。その余の事実は不知。

2 請求原因2は認める。

3 同3の主張中、本件各配転命令に当つて原告らの同意を得ていないことは認めるが、その配転命令が無効であるとの点は争う。

同3の(一)のうち、被告が職種名称を広告に記載して職員募集をしていることは認める。しかし、これは、特殊な技能と資格を必要とする専門職以外の一般従業員にあつては、応募者の参考に資するための措置として職種を記載するに過ぎず、これによつて職種を限定して従業員を採用し、その旨労働契約を締結する趣旨ではない。なお、原告らに交付した辞令には肩書としていずれも「事務員」と記載されているが、これは基本給の計算等級が事務員であることを示すに過ぎず、職種を限定した趣旨ではない。その余は争う。

同3の(二)のうち、被告が本件配転について原告らと協議をしなかつたことは認める。

被告においては、その就業規則に配置転換に関する規定はなく、また、過去においても個別に従業員と協議をせず、またその同意を得ることなく、しばしば配置転換は行なわれてきており、このことは既に被告における労使慣行として制度化されている。

同3の(三)のうち、原告らが本件ビラを配布したことは認めるが、本件各配転命令はビラ配布行為に対する制裁としてなされたものではなく後記三記載の事由に基づくものである。

同3の(三)(1)ないし(4)のうち、原告らのビラ配布について職員集会が開催され、その席上原告らの右行為について職員から様々な質問が発せられたことは認めるがその余の事実は争う。

4 同4、5は争う。

三 被告の主張―本件配転の理由

1 従業員の原告らに対する不信感、嫌悪感

被告病院の従業員は、比較的被告病院の近隣に居住する者が多く、しかも、これら従業員は、老人医療・地域医療に多大な貢献をしている被告病院に勤務することを、誇りとし、生きがいとしているところ、原告らは被告の病院経営を非難、中傷する前記ビラを従業員が多数居住している多摩ニユータウンの団地等に配布し、右従業員らの誇りや生きがいを傷つけ、原告らとの間の信頼・協調関係を破壊した。原告らに対する他の従業員の不信感・嫌悪感はその後も増幅されて行つたため、被告としては、医療業務の円滑な遂行に多大の支障が生ずるのを防ぐため、やむなく他の従業員との接触のより少ない場所へ原告らを配転することを考慮せざるを得なかつた。

2 情報漏れに対する防衛

原告らが配布した本件ビラは、その記載内容に真実に反した部分があるばかりでなく、病院内部で待遇改善や体質改善を求めることとは全く異質なもので、かつ、その後も継続して同種のビラ配布が行なわれそうな気配が強く感じられたため、被告としては、原告らのビラ配布行為あるいはその前提となる情報収集活動に協力する必要はないと判断した。原告らの従前の職場である事務所は被告病院に関するあらゆる情報が集中する場所であり、また医療業務の分野には外部に公表することが好ましくない情報も多いことから、外部への報道機関的役割を行なおうとする原告らを事務所外へ配置換えしようと考えたのである。

3 新病棟完成に伴う適材配置

被告は昭和五四年一月五階建の新病棟を完成させ、事務所スペースに変化を生じたため、多年の懸案事項である事務部門の適材配置を検討したところ、原告植松担当の入院患者からの預り金の管理及び防火管理の補佐業務と、同宮島担当の入退院事務とは、いずれも他の職員で充分にまかなえるものと判断したことから、原告らの配転を適材配置の観点において処置したものである。

4 夫婦同一職場の回避

原告らは事実上の夫婦であつて、昭和五三年三月ころより同居していたことは病院内において周知の事実であつた。夫婦が机を並べた職場にいることは、他の従業員との感情上からも好ましいことではないので、婚姻を機会に職場換えを行なうことは我が国の慣習であるところ、原告らにおいては弊害が既に発生しており、早期に配置換えをすべきであつたが、新病棟の完成という大事業を控えていたためこれを見合わせていたので、今回その完成を待つて実施に移したものである。

5 配転先の相当性

原告宮島は、当時頸腕障害を訴えていたため、なるべく肉体的・精神的負担の軽い職場に配置するよう考慮した。購売部売店は、肉体的・精神的負担も至極軽微であり、かつ他の従業員との接触、連携も少ないので前記2ないし4の諸点から適切な職場として原告宮島を配転したものである。

原告植松の配転先である管理課洗濯も、その仕事の性質上他の従業員との接触、連携が少ないので同じく前記2ないし4の諸点に照らし適切であり、更にまた右職場は一定の肉体的負担を要する点で、原告植松に適した職場といつてよい。

なお、本件配転によつて原告らの給与が減額となるなど収入面で不利益をきたした事実はない。

四 被告の主張に対する原告らの認否と反論

1 被告の主張1中、被告病院において他の従業員の間に原告らに対する不信感あるいは嫌悪感が生じていたことは否認し、その余は争う。原告らが当時携わつていた業務は、常時、他の従業員との接触を要するというものではなく、従業員間の相互の感情が業務遂行に影響を与えるということは考えられない。

2 同2は争う。本件ビラの内容は事務所職員でなくとも知り得た事実であるし、かつ表現上不十分な点があつたにせよ指摘された内容は全く事実に反するものではない。表現上の不十分な点については、昭和五三年一二月二八日本件ビラと同様の配布方法により訂正ビラを配布している。また一労働者が市民組織に加わり、経営者の具体的施策について批判し、広く他の市民に自己の考えを訴えることは自由である。しかも、被告病院は医者、看護婦を含めても総勢一四三名であり、事務所に勤務する者しか知り得ない事項というものは考えにくい。

3 同3は否認する。事務部門の適正配置を検討した事実はない。

本件各配転後の昭和五四年三月一日、被告は新たに事務所職員として新井貴洋を採用し、同人は本件配転前の原告植松の担当した業務を大半行なつている。

また原告らの各配転先は当時いずれも増員を必要としていなかつた。

適正配置の観点からすれば、原告植松は会計の仕事を引き継ぐことになつており、同宮島は、被告の積極的な勧めにより社会福祉主事の資格取得を目指していたのであるから従来の仕事から配転する必要性は全くなかつた。

4 同4について、原告らが夫婦であることは認めるが、その余は争う。

被告病院において、過去、夫婦が同一職場に勤務していた例は六例あり、しかもその四例は夫婦の一方の勤務場所に夫婦であることを知りながら他方を配置換えしたり雇用したりしている。

原告らは本件配転当時同一の職場内にいたがこれは一時的なもので昭和五四年一月の新病棟完成と同時に解消されるべきはずのものであつた。

5 同5は否認する。

第三証拠<省略>

理由

一 配転命令の存在

原告植松が昭和五〇年三月二七日、同宮島が同年一〇月二三日に被告にそれぞれ雇用され、原告植松は、被告の経営する厚生荘病院事務所において印刷物作成、タイムカード作成及び患者の小遣台帳整理等を担当し、同宮島は、被告病院薬局において薬局助手、次いで同病院事務所において入退院事務を担当していたこと及び被告が原告らに対し、昭和五三年一二月二三日その同意を得ることなく、昭和五四年一月四日付をもつて、原告植松を管理課洗濯へ、同宮島を購売部売店へそれぞれ配置換えを命ずる旨の意思表示をしたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二 配転命令の効力―異種配転

原告らは、まず、本件各配転命令が、原告らと被告との間の各労働契約の内容を一方的に変更するものであるから無効であると主張する。

そこで原告らと被告との間の各労働契約において合意された内容、殊に業務内容について次に考察する。

1 成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二号証、第一二及び第一三号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第三及び第四号証、第七ないし第一〇号証、第一四号証、第二六号証の一、二及び乙第一号証、原本の存在に争いがなく、証人齋藤榮の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証、同証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証、同証言並びに原告植松及び同宮島各本人尋問の結果に前記当事者間に争いない事実を総合すれば以下の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(一) 被告病院は結核患者の治療を専門としていたが、昭和三三年ころからは一般老人患者の入院治療に主力を置くようになつてきたところ、昭和五〇年当時以降におけるその従業員の業務の種類は被告が病院経営を主体とするところから、まことに多岐にわたるものであつて、その概略を挙示すると、医師、看護婦、看護助手、薬剤師、臨床検査技師、診療放射線技師、事務員、各課(検査室、リハビリ、薬局)助手、保母、その他の託児所職員、栄養士、調理士、洗濯場要員、保清、雑役・洗い等であるが、これらの者のうち、医師を除くその余の従業員の基本給の定めは、職種別に学歴、年令、経験、技能、勤務年数等によつて各別に定められており、その職種別における「労務員」は、学歴上はすべて中学卒業扱いとして細分化されていないが、「事務員」は高等学校卒、短期大学卒、大学卒の別があつて、それらの間に初任給において差が設けられていた。そして「労務員」には、洗濯場要員、保清、調理士、雑役・洗い、看護助手等専ら現場において肉体労働に従事する者が属し、「事務員」には、検査室、食養部及び事務所等の各事務員が属し、専ら事務的作業に従事するものとされていたが、被告病院では売店職員も「事務員」をもつて配置していた。

すなわち、売店はもと患者が組織する患者会が運営していたが、これを被告が受継いで、昭和四六年頃から被告の従業員をして売店業務に従事させてきたところ、被告は右業務には、商品の陳列・販売のほかに、仕入れ商品の種類・数量の決定、在庫商品管理、棚卸し、売上金の保管等が含まれるなど、単に肉体労働をなすにとどまらず、経営及び事務処理能力が必要とされることに着目して、売店職員を「事務員」の職種に属せしめていたのである。

(二) ところで、被告病院では従業員を募集するに当つては、看護婦、保母、調剤師、同助手、事務員、薬局助手、看護助手、洗濯場要員及び給食業務、用務等の表現を用いて採用後に担当させる業務の種類を具体的に示すと共に、特に経理事務を担当させるため、経理の技能・職歴者を募る場合には、「経理事務員」というような表現を用いることもあつた。しかし、右広告募集の際の職種の表示は、あくまでも採用時における担当業務の実情を示すものに過ぎず、例えば、「用務」や「経理事務員」のように必ずしも、右表示の職種が給与体系上の職種と一致するものでもなかつた(給与体系上、前者は主として「労務員」、後者は「事務員」に属する。)。

(三) 原告植松は、高等学校卒業後二年間経理の職に就いた後昭和五〇年三月被告のなした高等学校卒業以上の学歴者を対象とした事務員募集に応募し、同月二七日採用となつて、被告病院の受付に一か月間、保険請求事務に五か月間従事した後、本件配転に至るまで、病院事務所における庶務担当として入院患者の小遣台帳の管理、印刷物の作成、タイムカードの作成、有給休暇カードの整理及び防火管理補佐等の業務に携わつてきたが、採用以来、本件配転に至るまで高卒事務員級の給与を支給され、辞令上も単に「事務員」と記載されていた。

ところで、原告植松が本件配転によつて担当することとなつた洗濯場要員の業務の内容は、主として老人入院患者のおむつを機械操作によつて洗濯・乾燥する作業で、専ら肉体労働に従事するところから「労務員」としての職種に属する従業員がこれを担当していて、その勤務時間も、本件配転のころは、午前七時半から午後三時半までの早番、午前八時から午後四時までの中番、午前八時半から午後四時半までの遅番にわかれ、土曜日、日曜日の別がない勤務態勢であつたため、週一回の休日は必ずしも日曜日にとれるとは限らなかつた。この点「事務員」は勤務時間が午前九時から午後五時までで、土曜日は半日、日曜日は一日休みとなるのと異なつていた。

原告宮島は、大学中退後結婚していたが、昭和五〇年一〇月被告のなした短期大学卒業以上の学歴者を対象とした薬局助手の募集に応募し、同月二三日被告に採用されて、被告病院薬局において調剤作業の助手として勤務していたが、頸肩腕障害との医師の診断のもとに昭和五二年一月から同年五月一九日まで休職し、同月二〇日に復職したが、その際同原告の希望により事務員としての職務に属する手指作業の軽い入退院手続等の事務に従事し、以後本件配転に至るまで病院事務所において右業務に携わつてきたものであり、採用以来短2卒事務員級の給与を支給され、辞令上も単に「事務員」と記載されていた。

そして、原告らはいずれも被告に採用される際、更に原告宮島においては復職の際においても、被告から職場内の配置換えに関してはなんら説明されることがなかつたが、しかしまた、担当する業務は募集の際に明示した業務に限定されるとの説明もなかつた。

(四) ところで被告病院の就業規則(昭和三〇年四月、同四四年八月各改正)においては、従業員の職種についての定めはなく、その四条に「院長は各従業員の職場所属を決定する」旨の規定があるのみで、本件各配転命令も被告病院院長名をもつてなされ、また被告と被告病院従業員による労働組合である厚生荘病院労働組合との間にも配転に関する労働協約は締結されておらず、本件を含めたこれまでの職場内の配転につき右労働組合との間に事前、事後において、なんらかの協議等がなされた事実はない。

(五) 被告病院における近時の配転例としては原告らのほかには以下の例がみられる(→印は配置先を示す。)。

(1) 藤倉喜恵子  事務所事務→食養部事務→売店

(2) 福島千代子  食養部事務及び調理→管理課事務→託児所→管理課長

(3) 松木つき江  管理課用度→医療請求事務(事務所事務)

(4) 小野島愛枝  食養部調理士→看護助手

(5) 宮丸ナミ   看護助手→洗濯場要員

(6) 後藤スミエ  洗濯場要員→食養部調理

(7) 井上波    管理課保清→看護助手

(8) 土屋初太郎  同右→食養部雑役

(9) 矢島俊一   同右→食養部調理

(10) 乳井直   同右→洗濯場要員

(11) 目黒キク  食養部調理→看護助手

(12) 市來千代子 託児所→食養部洗い

ところで右のうち(1)、(12)は事務員として採用された者であるが、(2)、(3)は採用が昭和三四年以前のため採用時の職種が明瞭でなく、(4)ないし(11)はいずれも労務員として採用された者であり、(12)の場合は数ケ月に限定された暫定的例外措置であつた。

なお、被告病院では配転によつて賃金等収入の面で不利益が生ずることのないように配慮しており、例えば、調理士の資格のもとに調理に従事し、技能給を得ていたものが、「看護助手」へ配転となつた場合にも、右技能給を引続き支給するなどの扱いをし、この点は原告植松の場合も例外でなく、同原告については本件配転にかかわらず、引続き高卒事務員給が支給されており、配転によつて従前の防火管理者手当はなくなつたが、洗濯場要員に支給される諸手当が加算される結果、手取額は配転前より増加していた(もつとも、昭和五六年四月からは、労務員給の定期昇給が適用されるように改められている。)。

しかし、前記の各配転例は、いずれも配転に際して、当該従業員の同意を得て実施した事例であつて、しかも、右事例においても、「事務員」として採用されその業務に従事していた従業員が、「労務員」としての業務に配置換えとなつた事例は、(12)の例外としての暫定的場合以外にはなく、いわんや「事務員」たる従業員が、その同意なしに被告から一方的に「労務員」としての業務に配置換えされたのは原告植松の場合を除いて他に例がない。

殊に、洗濯場は、失禁入院患者を多数擁している被告病院にとつて重要な作業部門であり、そのため同所の従業員が欠けた場合の補充は不可欠で、被告としてもその補充に苦慮してきたが、かかる場合においても、被告は、これまで、他の職場の従業員に対し、一方的に「洗濯場要員」への配転を命じたことはなかつた。

2 以上に認定した事実によれば、原告らと被告間における労働契約は、原告宮島の復職の際における担当業務の合意を含め、原告らの職種がその主張のように「事務所の事務員」と限定されていたものとは、たやすくは認め難く、また右契約締結時以降において被告病院院長の職場所属決定権限の行使が、「事務員」という同一職種内部における担当業務間の配置換えについても制限されていたものとも解されない。

しかしながら、「事務員」が主として事務的作業を職務内容とするのに対し、「労務員」は専ら労務的作業を職務内容とする点で両職種の間には担当業務の内容において著しい相違があるばかりでなく、給与体系上も「事務員」と「労務員」とでは学歴区分、初任給、定期昇給額等の点で格差があることに併せ、被告病院では、これまで同一職種間の内部における業務内容の変更についても当該従業員の同意を得てこれを実施してきたというその運用の実態にかんがみると、被告においては、少なくとも「事務員」として採用した者を「労務員」としての職種に属する洗濯場要員へ配転させるについて、院長が当該従業員の同意、もしくは、これと同視し得るような十分な話合いもなしに、一方的にこれを命じることはしないとの暗黙の合意が従業員との間に成立していたか、あるいはそのような内容の慣行が成立していたものと解するのが相当であつて、前記認定の就業規則四条の規定や被告が原告植松の本件配転に際して賃金等収入の面で同原告に不利益にならないよう措置したとの事情は、いずれも、右のように解するについて何らの妨げとなるものではない。

右のとおりとすれば、被告病院院長は、原告らに対し、労務指揮権に基づいて、「事務員」の職種の範囲内においては従前の業務とは異なる業務の担当に配置換えを命ずることができ、原告らもこれに応ずべき義務があると解されるが、原告らの同意もしくはこれと同視し得るような十分な話合いもなしに右職種の範囲を超え、少なくとも「労務員」としての洗濯場要員へ配置換えを命ずることは、一方的に労働契約の内容を変更するものであつて右就業規則の定めにもかかわらずなしえないものといわなければならない。

3 そうすると、原告植松に対する本件配転命令は、労働契約の内容を同原告の同意もしくはこれと同視し得るような十分な話合いもなし(本件証拠上明らかである。)に、一方的に変更するものであるから、その余の点につき判断するまでもなく無効のものというべきであるが、「事務員」としての職種に属する購売部売店に配置換えを命じた原告宮島に対する本件配転命令は、同原告の職種が「事務員」である以上、何ら労働契約に違反するものではなく、被告は、労務指揮権の濫用等特段の事情がない限り、原告宮島に対し、その旨の配置換えを命ずることができ、同原告はこれに応ずべきものであるから、本件配転命令につき労働契約違反をいう同原告の主張は理由がない。

三 配転命令の効力―労務指揮権の濫用

原告宮島は、本件配転命令は、専らビラ配布等に対する制裁としてなされたもので、人事権の濫用である旨主張するから判断する。

1 本件配転に至る経緯

成立に争いのない甲第六号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第二〇号証及び第二六号証の一ないし三、原告植松本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第五号証の三及び第一八号証の一、二に、証人齋藤榮の証言(ただし、後記措信しない部分を除く。)並びに原告植松及び同宮島各本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実が認められる。

(一) 原告宮島は昭和五〇年一一月薬局助手として被告に採用されて以来調剤作業に従事してきたが、同五一年暮ころ右拇指腱鞘炎・頸肩腕障害に罹患し、同五二年一月休職するに至り、そして、同五三年七月三一日には右疾病は業務に起因するもののとして八王子労働基準監督署により労災(職業病)認定がなされた。

原告宮島は、右労災認定を契機として、単独もしくは内縁の夫である原告植松と共に、被告に対し右疾病は被告の責任であるとして慰藉料の支払を含め謝罪等の要求を文書でして回答を求めたりしたのに対し、被告は労基署の労災認定を一応尊重し、同原告の有給休暇の回復等一定の措置はとつたものの、書面をもつて要求を繰り返し、被告の労災責任を追求する原告宮島に対しその要求書を従業員の目につくタイムカードの上に貼り出したり、要求書の提出をあからさまに非難するなどして原告宮島及びこれと一体となつて行動する同植松にそれぞれ少なからず不快の念を持つて対応していた。

(二) そこで、原告らは、被告の右対応とその経過を多摩ニユータウンの地域住民によつて昭和五三年一一月に結成され原告らも当時参加していた「多摩医療と労働を考える会」の会員に話したところ、同会は、同年一二月九日夜、「低賃金、職業病続発の厚生荘病院を知つていますか。」との表題のもとに、被告の病院経営は低賃金、過重労働で、職業病も発生し、新病棟の完成に伴つて更に人手不足による労働強化が予想されるとして、その病院経営を非難するとともに、これを地域医療の問題として取り組んで行こうとの趣旨を記載した本件ビラ約五〇〇枚を多摩ニユータウン内の永山団地を中心とした団地の掲示板等に貼付した。

(三) 多摩ニユータウン内には被告病院の従業員が多数居住していたところから、一部従業員の通報で翌一〇日本件ビラの配布を知つた被告病院事務長齋藤榮(以下、単に「事務長」という。)は、直ちに病院に赴き副院長とその善後措置につき話合つたが、一部の従業員は本件ビラの内容が必ずしも真実を伝えたものではなかつたところから、居合わせた原告植松に何故このようなビラを配布したのか、などと詰問する者もいた。しかし、当日は日曜日で従業員の多くが不在であつたため事なく経過した。

(四) 翌一一日、出勤してきた従業員の中には本件ビラの配布とその内容に少なからず動揺し事務長にそのいきさつと対応について問い質す者もいたので、事務長は、これを受けて同日昼休みに院長出席のもとに被告病院内の三木ホールにおいて職員集会を開催し、その席上において原告らに対しビラ配布とその内容について釈明を求めたが、管理職を含めた一部の従業員は本件ビラの配布と内容について原告らを非難する発言をした。そして、最後に事務長は右集会の締めくくりとして「原告らと一緒に仕事をしたいか、したくないか」と従業員に挙手の方法で賛否を問うたところ、多数の従業員は「したくない」として挙手した。

(五) そこで、被告は、その日(一一日)の午後と翌一二日の午前中に掛けて管理職会議を開いて原告らに対する処置を検討した結果、原告らを就業規則上の制裁としての訓戒処分に付することを定め、一二日午後副院長及び事務長が原告らに訓戒書(甲第六号証)を交付したが、その際副院長と事務長はなんらの事実調査もせず、また、原告らの弁明を聴取しないまま原告らに対し、交々「本件ビラをまいたことの責任は配転で取つてもらう。」旨の発言をいきなりすると同時に原告らの配転先としてそれぞれ「洗濯場」と「売店」となると言及した。

(六) 被告のこのような動きを知つた一部入院患者は、原告らの配転に反対して嘆願書を被告病院院長に提出し、また、本件ビラを発行した「多摩医療と労働を考える会」の一部の会員も本件ビラの表現に誤解を招く点があつたとして被告に謝罪すると共に、原告らの配転に反対する旨を申し入れ、更に、原告植松も同月二〇日ころ被告病院副院長に会つて配転をしないで欲しいと述べたが、副院長は、「このビラの件だけ反省しても駄目だ。今までの活動についても反省しなければ駄目だ。」との趣旨の発言をしてその申し入れを拒否した。

(七) かくして、被告は同月二三日院長名をもつていずれも昭和五四年一月四日付で原告植松を病院事務所勤務から管理課洗濯へ、同宮島を病院事務所勤務から購売部売店へ、それぞれ配置換えする旨を記した各配転命令通知書を原告らに示して一方的に配転を命じると同時に右通知書を院内に掲示したが、原告らはこれを不服とし本訴を提起しながらも、一応昭和五四年一月一一日から各配転先においてそれぞれ就労して現在に至つている。

以上の事実を認めることができ、右認定に反する証人齋藤榮の証言中、一二月一二日における訓戒書交付の際に配転のことは口にしていないとの証言部分は前記認定に供したその余の証拠に照らして信用できない。

以上認定の事実によれば、本件配転命令が本件ビラ配布に対する責任を問う趣旨において、すなわち、実質的な懲戒処分としてなされたか否かは暫く措き、右配転命令がビラ配布と直結し、両者の間に密接不可分の関係があつたことは否定できないところ、被告は、本件配転はビラ配布を契機としながらも業務上の必要性、合理性に依拠してなされた旨主張し、とりわけ、原告らを配転するに至つた事由として、本件ビラ配布によつて従業員の原告らに対する不信感・嫌悪感が業務運営上無視し得ないほどに高まつて、原告らと一緒に仕事をしたくないという状態であつたことから、原告らをできるだけ他の従業員と接触、関連の少ない職場に配置換えすることを重点とし、かつこれに併せ、原告宮島の体調及び新病棟完成に伴う適材配置並びに夫婦同一職場の回避等を加味して総合的に判断して本件配転を決定したと述べるので、以下これらの点について先ず検討する。

2 被告主張の配転事由の存否

(一) 従業員の原告らに対する不信感、嫌悪感

前記1項認定の事実によれば、確かに、多数の従業員は、職員集会の最後に事務長が、「原告らと一緒に仕事をしたいか、したくないか。」と尋ねたのに対し、「したくない。」と挙手し、また、その席上などで原告らの本件ビラ配布に関して、何故こんなビラを配布したのかと原告らを非難、詰問する場面があつたことも明らかである。それに、本件ビラに記載された低賃金、過重労働、職業病多発として被告病院を非難したその文言の全部が必ずしも真実を伝えたものでなかつたことに併せ、前記1認定の事実に成立に争いがない乙第三号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証の一、証人齋藤榮の証言によれば、原告らは前記厚生荘病院労働組合に加入していたが、同組合が原告宮島の疾病についての被告の責任追求に同調し、協力してくれないとして昭和五三年一〇月一七日には同組合より脱退し、その後翻意して同月二七日同組合に再加入を申請したが、組合委員全員一致のもとにこれが容れられなかつたところから、同年一一月ころビラ等によつて右再加入拒否に対し非難抗議する態度を明らかにしてきたことが認められるから、このような諸点に照らせば、本件ビラが配布された多摩ニユータウン内に居住する多数の従業員を含め被告の従業員の一部に本件ビラは自己の職場の社会的印象を故なく著しく毀損したものと認識してその配布を契機として原告らに反発し、不信と反感の念を強く抱く者も現われたことは容易に推認できるところであつて、この点に反する原告植松本人の供述部分はにわかに信用できない。

しかしながら、原告らの本件ビラ配布を契機として原告らに対し不信と反感を抱く従業員が現われ被告として業務運営上の秩序を維持するうえにおいてこれを看過し難いものと判断したとしても、原告らの右秩序違反について被告は既に就業規則上の懲戒処分としての訓戒を科し反省を求めているのであるから、なおその上に原告らを配置換えするについては、慎重を期して従業員の動向をよく見極わめ、それによつて原告らが本件配転前に従事していた業務に具体的に支障を及ぼし、もしくはそのおそれがあつたかどうかを十分検討すべきであるのに、これをせずに労務管理を含めて経営全般の衝に当つていた被告病院院長及び事務長は職員集会で「原告と一緒に仕事をしたくない」、と挙手した従業員が多かつたところから、これに雷同し、専ら原告らを従業員との接触から遠ざけ、いわば隔離することを目的として訓戒処分と同時に逸早く本件配転を決めたものであつて、本件配転が従業員の原告らに対する不信感、嫌悪感によつて原告らの業務、ひいては被告の業務運営に支障をきたしたことによるとする被告の主張はにわかに採用できず、この点に関する証人齋藤榮の証言も原告植松の供述や右の各点に照らして考察するとき未だ被告主張の事実を裏付けるに足りない。

(二) 情報漏れに対する防衛

被告は被告病院の秘密保持の必要から同病院に関する情報が集中する事務所から原告らを排除する必要があつた旨主張するが、本件ビラの内容は前記のとおり、被告病院に対する非難、被告病院内の従業員の労働過重、人手不足等を訴える内容のもので、その表現も全体的に抽象的、一般的なものであつて、そこからは専ら被告病院内の処遇について不満の従業員がいる旨を窺うことはできるが、殊更、被告病院内の秘密を暴露したものとは解し難いのみでなく、原告ら殊に宮島が右ビラの一件から直ちに被告病院の秘密を暴露する具体的危険性を有していたと認めるに足りる証拠もない。

(三) 新病棟完成に伴う適材配置

被告は本件配転は昭和五四年一月の新病棟完成を機とする事務部門の適正配置の一環としてなした旨主張するが、前掲乙第五号証及び弁論の全趣旨によれば、本件配転と同時もしくは近接した時期に他の従業員の配転が行われたとの事実は認められないばかりでなく、原本の存在及びその成立に争いのない甲第一五号証の一ないし三、原告植松本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一六号証並びに同原告及び原告宮島各本人尋問の結果によれば、原告植松の担当していた庶務の仕事は、昭和五四年三月一日付で採用された新井貴洋にほぼ引き継がれており、かつ原告らの本件各配転先は当時いずれも増員をさほど必要とはしていなかつた(原告宮島の配転先である売店は従来職員が一名配置され、当時既に藤倉喜恵子が就労していた。)との事実が認められ、右認定に反する証人齋藤榮の証言の一部は前掲各証拠に照らして措信し難く、他には右認定を履すに足りる証拠はないところ、更に本件各証拠を検討しても、被告が本件配転のころに新病棟の完成(昭和五四年一月)を機に従業員の適正配置を具体的に検討していたことを認めるに足りる証拠は見当らない。

(四) 夫婦同一職場の回避

原告らが事実上の夫婦であること及び本件配転時原告らが同一職場にいたことは当事者間に争いがなく、これに前掲乙第五号証(ただし、後記措信しない部分を除く。)、原告植松本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一七号証、証人齋藤榮の証言(ただし、後記措信しない部分を除く。)及び原告植松本人尋問の結果によれば、被告病院における夫婦の勤務者は少なくとも六組程度あつたが、このうち少なくとも三組は夫婦が別の職場で、他の三組は同一職場で、しかもそのうち一組は九年間の長きにわたつて食養部で共に執務しており、他の二組は共に事務所内(ただし、別室)で勤務していたことが認められ、右認定に反する乙第五号証の記載及び証人齋藤榮の供述部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、被告病院において夫婦同一職場の回避ということが厳格に守られていた慣行であるとは到底認め難いのみでなく、原告らが事実上の夫婦であることから、実際にどのような支障を生じたかを認めるに足りる証拠もない。

証人齋藤榮は原告らが夫婦であることにつき職場内から苦情があつた旨証言するが、その苦情の具体的内容を認めるに足りる証拠はなく、しかも原告植松本人尋問の結果によれば、原告らが同棲するようになつた時期は昭和五三年四月からであつて(原告宮島は昭和五一年三月に前夫との間において離婚が成立していた。)本件配転時まで既に八か月近く経つており、また原告らが被告病院内の同一室内にいた期間はあくまでも新病棟建設のための仮設プレハブ内でのおよそ一年間にとどまるもので、新病棟が完成する同五四年一月には事務所内においても原告宮島の入退院係は別の室が用意される予定であつて、原告らの同一室勤務の状態は早晩解消されるところであつたことを認めることができる。しかも、被告主張の理由によれば夫婦の一方を配転すればすむことであるから両方同時に本件配転の理由としては首肯し難いところである。

以上のとおり、被告が本件配転の必要性、合理性として主張するところはいずれも理由がないものといわざるをえない。

3 まとめ

以上考察してきた点、とりわけ前記1認定の諸事実に本件配転命令に関する被告主張の業務上の必要性、合理性がいずれもその根拠として薄弱で首肯できない点を総合すると、本件配転命令は、かねてより被告の労災責任を追求し、被告として快く思つていなかつた原告らが、本件ビラを配布して被告従業員の一部に対し不信と反感を招き業務上の秩序を乱したところから、専ら原告らを従業員と接触する機会の少ない職場に遠ざけ、いわば隔離することによつて右従業員の沈静化を図り、もつて、業務上の秩序回復をしようとしたもので、その実質的な狙いは本件ビラ配布に対する責任追及、すなわち秩序違反に対する制裁にあつたものと解するのが相当である。

右のとおりとすれば、原告宮島に対する本件配転命令は業務上の必要性、合理性もないのに労務指揮権に基づく配転に名を藉り、実質的には懲戒処分の一環としてなされたもので、しかも、同原告は本件ビラ配布に関しては既に懲戒処分として訓戒に処せられていること、被告の就業規則においては懲戒は訓戒・減俸・解雇の三処分に限定され配置換えはないことが前掲乙第一号証によつて明らかであるから、これらの点を、本件で考察してきたその他諸般の点に併せ考えれば、同原告に対する本件配転命令は被告の労務指揮権を不当に濫用した無効のものというべきである(なお、原告植松に対する本件配転命令が労働契約上の職種の変更に当らないとしても、その効力は原告宮島に対する本件配転命令と同じように労務指揮権の濫用として無効とすべきことはいうまでもない。)。

四 損害賠償請求

原告らは本件各配転により蒙った精神的苦痛に対する慰藉料を請求するから検討するに、本件各配転命令は、原告植松につき労働契約に違反し、原告宮島につき労務指揮権の濫用としていずれも無効であるから、被告としてはかような配転命令を発し、原告らをして配転先で就労させたことは違法の措置であつたということができるところ、原告植松及び同宮島各本人尋問の結果によれば、本件配転前原告らは一緒に自動車で通勤していたが、本件配転後は、出勤時刻が一致しなくなつたため、特に当初の約一年間は原告植松が洗濯場においていわゆる早番に当ることがあつたため、その際には、早朝原告宮島が自動車で同植松を送り、その後自宅に戻つて子供の世話をした後出勤するという生活となつたこと、また洗濯場は日曜日も稼働するため原告植松は日曜日に出勤することも少なくなく、そのため原告らが同じ日に休みとなることは月に一回位しかなくなつたこと及び原告宮島の子供と原告植松との間には血縁関係がなく、両者の関係が接触が少ないため当初円滑にいかなかつたこと並びに、原告宮島は売店で右手を高く揚げる作業の際には苦痛を感じていること以上の事実が認められ、これに反する証拠はない。

しかし、証人齋藤榮の証言、原告植松及び同宮島各本人尋問の結果によれば、原告植松は、本件配転後午前八時及び八時半出勤のときはバスで通勤務しており、また本件配転後一年位してから勤務時間は午前八時半から午後四時半までに統一されたこと、また洗濯場要員には、本件配転当時男性一名、女性三名がおり、その後も女性三名が引続いて同要員として就労しているところ、洗濯場の作業はほとんどが機械操作によるもので、決して過酷な労働とは云い難く、また原告宮島の売店業務も本来配転前に比して、記帳事務が増えたほかには、格別業務内容を拡大することもなく、昭和五四年一二月までは藤倉喜恵子と二人でこれに従事し、同原告もその間に右業務に十分習熟できたと思われること等の諸事情が認められ、これらに、本来本件配転前原告らの出勤時刻が同一であつたことによつて原告らが享受していた種々の生活上の便益は事実上のものであつて、決して原告らが被告との間の労働契約上保護されていたものとは云い難いこと、また前記のとおり被告は原告植松に対しては本件配転後において、その前より多くの給与の支給が受けられるよう配慮していること、更に本訴において、原告らの請求を容れ、本件各配転の無効を確認することをもつて精神的に慰藉される面もあること等を考慮すると、たとえ原告らが本件各配転命令を受けたこと自体、あるいは配転先における就労によつて精神的あるいは肉体的苦痛を受けることがあつたとしても、それは金銭をもつては格別、慰藉するのを相当とする性質、程度のものとは認め難く、結局本件慰藉料請求は理由がないものというべきである。

五 むすび

以上の次第で、原告らの本訴各請求は、被告に対し本件各配転命令の無効確認を求める限度において理由があるからその旨これを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文及び第九三条一項本文を各適用してそれぞれ主文のとおり判決する。

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